非ユークリッド幾何学発見の歴史

● 幾何学
図形の形や大きさの比較計量,図形の持つ様々な性質,さらに図形が存在する空間の性質を研究する学問領域。

三角形の重心は,各頂点と対辺の中点を結ぶ線分の交点である。

● 幾何学の源流は土地の測量
なわばり争いはやめよう
● 測量 : 直角な線を引くこと
3と4と5で直角が作れることを,測量技術士たちは知っていた(経験的に)。
● なぜ3と4と5で直角が作れるのか?

● ピタゴラス(BC 550 頃)の定理
直角三角形の3辺を a, b, c とすると、
a^2 + b^2 = c^2 が成り立つ。
したがって、3^2 + 4^2 = 5^2 より、
3,4,5で直角が作れる。
● 実用には 3,4,5だけで十分。
しかし、なぜだろう?
● すべての直角三角形に対して、
a^2 + b^2 = c^2 が成り立つことを示す。
学問の始まり。

● 学問としての幾何学を体系的にまとめた本 「原論」
著者 : ユークリッド(BC 330-275, ギリシャ)
● ユークリッド「原論」の構成。
点,線,円などの基本的な言葉と,直線を引く,円を描くなどの基本的操作を出発点としていろいろな図形の性質を研究する。
ユークリッド幾何学と呼ばれる。
● このように,ごくわずかの仮定から出発し,推論によって多くの結論を導くという方法は,その後の諸科学の見本となった。
例 : ニュートン力学

● ユークリッド「原論」の中に,次の仮定がある。
「1本の直線と,1つの点があるとき,その点を通る平行線はちょうど1本である。」
注意:平行線とは,どこまで行っても交わらない2本の直線のこと
● この仮定を「平行線公理」という。これが多くの数学者を悩ますことになる。
● この「平行線公理」は仮定なのか? それとも他から証明できる事実なのか? もし証明できる事実なら,仮定からはずそう。なぜなら仮定はできるだけすくない方がよいから。
● 「平行線公理」を証明する努力が始まった(解決は19世紀)。
● 当時はきわめて難しい問題で,ほとんど進展がなかった。
● 平行線を引けることはすでに仮定してあるので,問題は,ちょうど1本かどうかということ。

● 仮定と証明できる事実の違いについて
● 正の数 a に対して a^0 = 1
これは仮定か? 証明できる事実か?
● ある人の証明
a^0 = a^(1-1) = a^1・a^(-1) = a^1・(1/(a^1)) = 1
● 実はこれは間違い。
a^0 = 1 は仮定。
すなわち,数学上の約束ごと。

● 「平行線公理」の証明の試み。
背理法
「平行線がたくさん引けると仮定すると,どこかで理論が破綻するはずだ」
● サッケーリ(1667-1733,イタリア)
  ランベルト(1728-1777,スイス)
  ルシャンドル(1752-1833,フランス)等の努力。
「平行線がたくさん引ける」と仮定すると,きわめて奇妙な日常感覚からかけ離れた理論が展開する。しかし理論全体としての破綻は見いだせない。なぜだ???
とまどいつつも結論出せず。

● 彼らは
「平行線はたった1本に決まっている」
という思いこみから抜け出せなかった。
「平行線がたくさん引ける世界があってもよい」
という発想がなかった。
そのため,
「破綻がないのなら,それを一つの理論として認めよう」
ということに踏み出せなかった。

● 19世紀二人の天才の登場
ロバチェフスキー(1793-1856,ロシア)
ボヤイ   (1802-1860,ハンガリー)
「平行線がたくさん引けると仮定すると,日常感覚とかけ離れた全く別の幾何学ができあがる」 と結論
後に,非ユークリッド幾何学と呼ばれる
● 日常感覚や思いこみを排除し,自分の推論を信じて出した結論。
● 「全く別の幾何学があってもよい」という発想。

● 簡単にいうと
ユークリッド幾何学 
・まっすぐな空間の幾何学
・三角形の内角の和 180 度
非ユークリッド幾何学
・曲がった空間の幾何学
・三角形の内角の和 180 度より小
● 非ユークリッド幾何学の曲がり具合を0にしたものが,ユークリッド幾何学といえる。

● ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学の関係は,ニュートン力学とアインシュタイン力学との関係に似ている。
日常的,経験的世界       日常的,経験的世界からの離脱
ユークリッド幾何学        非ユークリッド幾何学
ニュートン力学          アインシュタイン力学

● 人間の日常感覚は,ユークリッド幾何学であるが,宇宙全体を考えるとき,非ユークリッド幾何学が必要になる。

日常感覚・・地球は平らで,太陽は東から昇り西に沈む
事実は ・・地球は丸く,自転をしながら太陽のまわりを回る 
● 経験や思いこみにとらわれてはいけない。冷静で正しい推論によって出された結論は,最大限尊重しよう。

● ロバチェフスキーの場合
生前に何度か論文を出したが,ほとんど注目を浴びなかった
● ボヤイの場合
29才のときガウスに論文を送る。
ガウスの返事「それはすでに私がやった」
ボヤイの驚きと憎しみ。
不健康になり不遇の生涯を送る
● 非ユークリッド幾何学の世間的認知
1867年 ロバチェフスキーの論文(死後11年)
1868年 ボヤイの論文(死後 8 年)
相次いで世に認められ多くの人の知るところとなる。



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